「御国の力をもってくるまで」マタイ16:21?28
イエスの弟子たちが「あなたは生ける神の子キリストです」と告白することが出来ても、自分たちの思いや願い、計画をかなえるためだけにイエスに期待するなら、結果的にはキリストの道を妨害するサタンの手伝いをすることになります。弟子たちからすればイエスの受難予告は受け入れがたいものでした。「神の子」として祝福され、神に用いられる者が殺される。しかも当代の宗教指導者に断罪され、群衆に偽キリストとあざけられ、最大の侮辱と虐待を受けて殺される。しかし三日目によみがえる。これが神のご計画である。このような話を弟子たちはまともに聞いていられません。先生はなぜ殺されるのか、どうやってよみがえるのか?死ぬなんて言わないで、イスラエルの解放のために立ち上がってください。これが本音だったのではないでしょうか。そのような弟子たちにイエスは『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。』 と話されました。自分の培ってきた主義主張を貫こうとするのではなく、神の御心を求めよ。「人の子」はやがて御使いたちと共に審判者として地に臨む時がくるが、【十字架による贖いのための死】は避けて通れない。恥と死の暗闇を通らなければならない、それが分かった上でイエスについていく覚悟はあるのかと問い、古い自分への執着を捨ててイエスに従いなさいと命じています。私たちも信仰の生涯の中で暗闇の谷を通らなければならない時があるでしょう。試練の時に、こうなってほしいという私の願い通りではなく、主に解決をお委ねできるでしょうか。私のために犠牲となられた主に信頼し、新しいいのちによって私を造り変えて下さいと祈りましょう。
2月17日 メッセージ要約
- 2019-02-17
- メッセージ2019