3月31日 メッセージ要約

「契約の血」マタイ福音書26章17?29節
過越しを守ることは律法に定められたことです(出エジ12章)。各地からイスラエルの民が過越しの祭りのためにエルサレムに集うので、大勢の人で賑わっていました。前もって準備しなければ宿泊・食事に支障をきたしたことでしょう。弟子たちがイエスに相談すると、すでにイエス様は段取りされていたようです。何食わぬ顔で会計係のイスカリオテのユダもその準備に携わっていたことでしょう。過越しの食事の席でイエスは一人の弟子の裏切りを予告します。ユダは自分たちの願いや計画・予定とイエスの目的は異なることに気づき、早々にイエスに見切りをつけ、祭司長にイエスの居場所を告げて銀貨30枚で売り渡します。神の御子が全ての人の贖いのため犠牲になる。それは神のご計画でしたが、そこに至るための道筋はいくつもあったことでしょう。人が与えられた自由の中で、信頼している仲間を欺き、主イエスを裏切る。それは忌むべきことで神が悲しまれることなのです。イエスは最後までユダが考えを変え、悔い改めることを望んでおられましたが、イエスの促しにかかわらずユダはやがてイエスのもとを離れます。イエスはパンを割き弟子たちに与え杯を取り、これは多くの人(全ての人)のために(代わって)流す契約の血(犠牲)であると話されました。人々の思いもよらない方法でもって神の罪の赦しと救いのご計画は粛々と進んでいたのです。十字架、復活、昇天、聖霊の注ぎを経て信じる者たちは、キリストが人の姿を取られこの世に来られたことと死の意味を知るのです。そして過越しの食事は聖餐へと形を変えて行われ続けるのです。