「証言」マタイによる福音書26:57?75
本日の聖書箇所には証言する場面が3つ出てきます。(1)大祭司と議員たちによる裁判 (2)イエスの証言(3)ペテロの証言です。(1)裁判はイエスを殺めるために準備されたものでした。宗教性と民衆の秩序を守るという大義を隠れみのに、自分たちの権威・利益を守ろうとしたのです。イエスを排斥しようとする人々の偽りの証言はイエス処刑の理由にはなり得ません。しかし最後の2人から「神の神殿を打ち壊し、3日あれば建てることができる」とイエスが言っていたという証言は、聞く者によると神を冒涜する立派な理由になったのです。というのは当時のエルサレム神殿はヘレニズム文化の一つの頂点というほどの壮大で荘厳なもので、ヘロデ大王による工事開始から完成まで40年程かけたものでした。ユダヤ人の宗教的な誇りでもあったのです。その聖なる神殿を打ちこわし3日で建て直すなど冒涜以外何ものでもなかったのです。イエスのことばの真の意味はヨハネ福音書(2:20?22)に解説があります。3日あれば建てなおすとは十字架によって殺されても三日後によみがえる主の復活のことだったのです。神を信じる者の体、すなわち神が住まう神殿(聖霊の宮)のことでしたが、そんなことは誰も理解できませんでした。(2)「お前は神の子メシアなのか」という祭司の問いに対し、「わたしは言っておく。間もなく人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と、イエスご自身が審判者として来られる再臨を予告したのです。祭司長たちからすると想像を超えたイエスの受け答えは死刑の理由の決め手となったのです。(3)同じ頃、裁判が行われていた屋敷の邸内にいた弟子のペテロは3度「イエスなど知らない」と証言しました。「わたしは死までもお供します」と誓ったのに、彼の信仰や情熱はもろく崩れ去りました。鶏の鳴く声に「3度知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外で激しく泣き崩れます。自分の弱さ、汚さ、嫌らしさに打ちのめされたのです。しかし実に信仰はそこから始まるのです。救い主イエスは罪深い人のために救済者として来られたのです。自分を含め何者も抗うこと出来ない罪と死に勝利してくださる主イエスが、今日も迷える私たちに十字架による犠牲でもって神の愛をお示しくださるのです。
4月7日 メッセージ要約
- 2019-04-07
- メッセージ2019