4月21日 メッセージ要約

「復活のイエス」マタイ福音書28:1?15
ヨハネの福音書11章でラザロが死んだ時、姉妹のマルタは「終わりの日によみがえることは知っている」と言いました。当時1世紀のユダヤ人の間にも復活はあると考えられていて、世の終わりの時に神を信じ敬う者全てがよみがえるとされていました。しかし、この時イエスご自身お一人で死からよみがえられるとは誰も思いもよらないことでした。十字架で死なれたイエスの遺体を弟子たちが盗み、イエスは死んでいないと民衆を惑わすことを怖れたユダヤの指導者たちは、イエスの墓に番兵たちを置くようピラトに願い出ました。しかし人間がどんな力をもって阻もうとしても、神のご計画は必ず成るのです。死に閉じ込められることなく新しいいのちと肉体をもって現れたイエスは、弟子たちと触れ合い、共に食事もされました。イースターの出来事は前にも後にも類例がない、一度きりの歴史的なことであり、新しい時代の幕開けでした。主の復活に、十字架前にイエスにつき従っていた弟子たちは恐れと不安、とまどいと喜びがないまぜになっていました。彼らもまた、やがて来たるべき終わりの日によみがえりがあることは信じていても、イエスご自身が生前に「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいる」(マタイ12:40)「人の子は‥殺されるが、三日目によみがえります」(マタイ17:23)と折にふれ話されていた言葉が本当に成就したことに半信半疑だったのです。人の心は翻り、その言葉も行いも変わりやすく移ろいやすいものです。しかし神の言葉は一貫して昔も今も変わらず、人を生かすいのちの力を吹き入れるのです。イエスが捕まった時に逃げ隠れて散り散りになった弟子たちであっても、イエスご自身の弟子たちへの愛と信頼は変わらぬものでした。弟子たちは復活の主にお会いして神の真実さを知ったのです。