「あなたがたと共にいる」マタイ福音書28:16?20
「あなたがたとともにいる」と話されたイエス・キリストが福音を伝えた対象は、初めはユダヤに限定したものでした。「異邦人の道に行くな、またサマリヤ人の町に入るな」(マタイ10:5?)まず「イスラエルの家の失われた羊のところ」に12弟子たちが派遣されました。その後、カナンの女の信仰によりいやしの奇蹟が引き出されたように(マタイ15:21?)イエスを救い主と信じる信仰は異邦人にも広がりを見せていました。救いの手はイスラエルのみならず、全ての民にさしのべられたものでしたが、そのことが明確に語られたのは十字架と復活以降、本日の箇所です。「天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」「全ての国民を弟子として、‥いっさいのことを守るように教えよ」2000年前のイエスの宣言が今日も世界中で、私たちにも語られています。しかし伝道する対象を、教会に招く人を、私たち個人の考えで「選別」してはいないでしょうか。人は慣れ親しんだ場所、関係性を大切にしたいと考えます。その気持ちが強いばかりに限られた地域、関係性から抜け出せない、保守的になってしまう人がいます。そのような傾向の人が外に踏み出すために必要なのは、外側からのアプローチです。弟子たちにとってそれはイエスの声でした。イスラエルに限らず全ての国の人に、全世界に出て行って宣教しなさい、と。既存のものを超越するためには、いつもそばにいて助言し励ましてくれる存在が必要です。そのため主は「見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束して下さったのです。イエスのいやしの御業を求めて集まった群衆は3日間何も食べず、空腹を満たすために家に帰るでもなく、御言葉を聞きたい、真理の飢え渇きをおぼえて彼らはイエスにずっとついていました。そんな彼らを「かわいそう」に思われ、パンの給食の奇蹟がなされました(マタイ15:29?)。主は私たちの身体的必要も配慮され、心の不足も知っておられ、両方を満たそうとして下さるお方です。人の感じるつらさ悲しさ苦しさに共感され、心の叫びを聞かれるお方です。ただそれがあなたの願った通りの形で答えられるのではなく、私たちの思惑を超えた違った形で答えられるのです。インマヌエルの神が愛をもって行って下さる御業に信頼し、主と共に歩もうとする方は幸いです。
4月28日 メッセージ要約
- 2019-04-28
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