「ゆだねられた尊いもの」?テモテ1:1?13
先週、人には「思いもよらない出来事」であったとしても神はそれをもご計画のため用いられる、というお話をしました。第二次伝道旅行においてパウロとバルナバはマルコについて意見が分かれ、それぞれ別の道を行くことになりました。ケンカ別れ自体は悲しい出来事ですが、伝道チームが二分されたことによって宣教は拡大していくのです。パウロも青年テモテと出会い、得難い助手を与えられました。テモテの父親はギリシャ人ですが、祖母ロイスと母ユニケ、子テモテへと三代に渡って信仰を持っていました。おそらくテモテも幼い頃から聖書に親しみ、祖母や母から御言葉を教えられていたことでしょう。また母の祈る姿や、人を親切にもてなす祖母の姿などを幼い頃から見て育ち、信仰者としての生活を家族を通して学んだことでしょう。使徒16:31に「主イエスを信じなさい。そうしたらあなたもあなたの家族も救われます」とありますが、身近にあなたの生活を見ている家族もまた、あなたと共にいる神を知る機会、すなわち信じるきっかけを日常の中で提供されているのです。パウロは「主を証しすることを恥じてはなりません」とテモテに呼びかけ、あざけりや中傷、福音のための迫害を怖れてはならない、むしろ志を同じくするならば「私と共に苦しみを忍んで下さい」と願っています。救われた者がゆだねられた任務は、神から与えられた良い賜物を守ること。臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊である聖霊の働きにより宣教を前進させることだと語ってします。「この道」を選んだのは私達の意図や思惑によるものではなく、全て神の御手による導き、福音のために立てられたご計画により神に選ばれたからです。私達は健全な御言葉を学び福音をかけがえのない価値あるものとして大切にし、家族に人に伝えて行きましょう。
5月12日 メッセージ要約
- 2019-05-12
- メッセージ2019