「皆で心を合わせ」使徒行伝1章12?14節
復活されたイエスの命令に従って信じる人々はひと所に集まり、心を合わせて祈っていました。イエスの弟子たち、イエスを信じる女性たち、イエスの兄弟らは信仰によって一つとされていましたが、最初から一致していたわけではありません。十字架の贖い、復活、昇天を通してイエスが真の救い主キリストであったと信仰の確信を得たのです。イエスの弟子たちはガリラヤの漁師や取税人、熱心党(ユダヤ教の中でも特に排他的で国粋主義であり、政治的独立のためには武力闘争も辞さない思想集団)であった者など、職業や立場、主義主張も様々な者達からなる集団でした。取税人ローマの手先としてユダヤ同胞から毛嫌いされていました。中には不正な者もいて私腹を肥やしていたからです。マリヤとヨセフの間に生まれたイエスの兄弟にはヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの名が伝わっています。彼らはイエスの生前はその活動をいまいましく思っていましたが、復活のイエスと出会ってからは信仰の道を歩んだのです。こうした全く異なる背景を持つ者たちに共通するものは罪の自覚と、ゆるされた自覚です。イエスを裏切った、身近にいたのに信じていなかった。真のキリストであったという認識が足りなかったという後ろめたさ。しかし、復活のイエスは彼らに姿を現され、十字架刑以前と変わらず親しく関わってくださいました。変わらぬ愛を示せてくださったことにより「自分は赦されている、受け入れられている、愛されている」ことを知り、主に従うことを決めたのです。神の約束された聖霊を待ち望み、心を合わせ祈っていたのです。聖霊が降臨した弟子たちが特別だったわけではありません。彼らにも間違いや失敗がありました。職業や立場、思想背景の異なる者たち、個性はそれぞれ違っても信仰によって一つとされ、同じことのために祈っていました。キリスト者はいつもこうあるべきなのです。ペンテコステの日はいつだからとかではなく、神様の憐れみをもっと深く知るために、イエス様の愛を受け取るために聖霊に満たされ信仰による勇気と知恵と力を受けるために、私たちは絶えず主の御前に出て、同じ主を信じる者を兄弟姉妹と呼び、心を合わせて祈ることが出来ますように御霊の満たしを求めましょう。
5月26日 メッセージ要約
- 2019-05-26
- メッセージ2019