「祝福と苦難と」ヨブ記1?2章
聖書に記されている、神に祝福された父親にアブラハム、イサク、ヤコブ‥ヨブがいます。どの人物も祝福とともに苦難も経験しました。ヨブは全く正しく、神を恐れ、悪から遠ざかった人物でした。多くの財産を持つ人で、家族の代わりに犠牲の生贄をささげ、とりなしの祈りをする人でした。神の目に適うヨブは、サタンにも目をつけられ標的にされてしまいます。サタンの思惑からすればこれほどの苦難が続けば神をのろい信仰を捨てるだろう、とヨブの家族と財産を打ち、それを失わせたのです。サタンは神に抗い、神の計画を邪魔する者です。聖書の中でサタンが登場する回数は少なく、創世記の蛇の誘惑、ダビデの人口調査、ヨブ記、イエスの荒野の誘惑、そしてイエスを売ったイスカリオテのユダに入った時、いずれも神のご計画を阻もうとして、神のご支配の中で行われたことです。うち続く災難にヨブの妻は「神を呪って死んでしまえ」と言います。全てを失った悲しみと神に対する怒り、自分では何もできない無力感と苦しみからほとばしった言葉ですが、ヨブは「我々は神から幸いを受けるのだから、災いも受けるべきではないか」と神を呪う言葉で唇を汚すことはありませんでした。ヨブをなぐさめるために訪れた3人の友人たちは、「知らない間にあなたが罪を犯したからこんな災難にあったのだろう、あなたが正しくなかったから、不幸になる何がしかの理由があるからだ、悔い改めよ」と、話しかける言葉が全てヨブを責め立てる論調になっていき、ヨブをいらだたせます。私たちは苦難を受けると信仰が揺さぶられます。ルツ記の冒頭で、夫と息子2人を失ったナオミは悲しみ「全能の神が私を悩まし、災いを下された」と言います。何ゆえ神は私を見捨てられたのかと失望し、不安と悲しみでこの先なんの良いことがあろうかと悩みます。しかし嫁のルツがボアズと結婚し、ナオミは孫を見ることができてなぐさめを得たように、ヨブも最後は神様から倍の祝福を与えられます。逆境の中で神に叫び、神に向かっていくことは正しい姿です。絶望の中で「私をあがなう者は生きておられる」と自分の助け主、希望は、神にあると知ることができるからです。
6月16日メッセージ要約
- 2019-06-16
- メッセージ2019