7月7日 メッセージ要約

「士師エフタ」 士師記11章29?40節
エフタは母親が遊女だったことから出自が疑われ、おそらく相続の件も絡み兄弟から嫌われて家を追い出されました。イスラエルの共同体の法を守れないならず者たちがエフタのもとに集まるようになったのは、彼にダビデのようなカリスマ性があったからでしょう。ごろつきの頭(不良のリーダー)であるエフタですが、聖書は彼を「勇士」として評価しています。アモン人と戦うことになったイスラエルにはふさわしい指揮官がいませんでした。そこでギレアデの頭たちはエフタを呼び出したのですが、エフタはすぐさま引き受けたのではなく、平時においても首領となるよう知恵を用いて交渉しました。戦時も平時も大将となるような士師はエフタだけでしたが、敵との戦いにおいて誓願を立てたのもエフタのみでした。誓願とは自分の願いが聞き届けられた時に、ある事をする・ある物を捧げる、ある事をしない(もの絶ち)と、口に出して神に約束することです。誓願を立てるのは義務ではなく全くの個人の自由意志ですが、神様と特別な取引をするためにそれを破ることはできず、必ず約束は果たさなければならないため、軽々しくすべきではありません。旧約の例としてはハンナの祈りが聞かれて男の子が産まれたため、誓願どおりサムエルを主にささげました。後にサムエルは最後の士師であり預言者として活躍します。エフタはアモン人から勝利を得たら「家の戸口から私を迎えに来る者を全焼のいけにえとする」と誓願を立てます。犠牲が大きいほど願いがかなえられる、と考えたようですが、あきらかに異教の影響からくる愚かな発想でした。創造主なる神は人身御供を望みも教えもしませんでした。それを戒めるかのようにアモン人に勝利し凱旋したエフタを最初に出迎えたのは、最愛の一人娘でした。士師記において主はイスラエルに敵を渡すと約束されましたが、エフタには勝利の約束はなかったため、確信が欲しくて誓願を立てたのでしょう。エフタはモーセの律法において誓願を立てることの意味とその重さを身をもって知り、それに従うことになったのです。