9月22日 メッセージ要約

『感謝を優先させるなら』 聖書箇所ルカの福音書17章11?19節
  説教者 澁谷 友光師

「感謝します」という言葉は、クリスチャンになってからよく使う言葉ですが、一般的にはあまり耳にしないようです。私たちはイエス様を信じてから、感謝することを教えられ、また感謝するよう命じられています。これは神様の愛の導きなのです。なぜなら神様が私たちをもっと豊かに祝福するために、天の窓を大きく開く一つのカギが感謝をささげることだからです。ですから私たちはより意識して感謝をささげる者になっていこうではありませんか。
「感謝を優先させる者に」
何を優先させるか、人それぞれに選ぶ順序、優先順位がありますが、神様は何よりも感謝を優先させるように教えておられます。そのことを教えているのが今日の箇所です。
イエス様がサマリヤのガリラヤの境を通られた時、10人のツァラアトにかかった人がイエス様に叫んでいました。当時、ツァラアトにかかるのは大変なことで、罪深い人や律法を破った家系の人がかかるのだという偏見がありました。罹患してしまうと家族や友人から離れ、町はずれの寂しい所で隔離生活を送らなければなりませんでした。もし人が通るようだったら遠くから「私は汚れています、近寄らないで下さい」と叫ばなければならなかったのです。そんな彼らの近くにイエス様が来られた、自分たちがいやされるチャンスは生涯に一度、この機会しかないとばかりに懸命に叫びました。これは私たちに祈りの姿勢を教えているのかもしれません。必死に主を呼んでいると、イエス様は「行きなさい、そして祭司に見せなさい」と言われました。祭司の役割は礼拝を司るほかに、ツァラアトにかかっているかどうか判断するというのが律法で定められています。規定の手順では治ったら祭司に見せるとなっていますが、イエス様が彼らに近づきなぐさめ、彼らに触れて祈ったりはしませんでした。それでも彼らはイエス様の言葉通り祭司の所に向かっていると、途中でツァラアトが消えてしまいました。不治の病と考えられていたのにいやされたのがうれしくて、その中の一人は祭司に見せるどころではなくなりイエス様の元に戻って来て、ひれ伏して礼拝しました。「10人きよめられたのではないか、神をあがめるため戻って来たのは1人なのか」この言葉から神様は感謝の礼拝をささげる者を求めておられることが分かります。

? 御言葉を受けた時、御業は始まっている
今日の聖書箇所で、なぜイエス様は彼らに近づいて、手を置いて天を見上げて祈られなかったのでしょうか?それは、御言葉があるから十分だからです。今日、私たちは最高の所にいます。神の御言葉が語られている所にいるからです。この所こそ地上における最高の場所です。主の御言葉が語られる所に必ず神の御業は現わされるからです。
<イザヤ55章10.11節>
天からの雨が地をうるおし、美味しい作物を実らせますが、それ以上の恵みが神の御言葉です。神の御言葉はむなしく落ちることはなく、命に替えられるからです。その御言葉が毎週語られる教会に私たちは来ているのです。だから私たちは胸を張って多くの人をお誘い、福音を伝えようではありませんか。ツァラアトにかかった10人は、イエス様の言葉の力を信じて、御言葉に従って祭司の所に向かっている時、いやされたのです。イエス様は近づいてくれなかった、触れて祈って下さらなかったといじけてはいませんでした。主の御言葉に聞き従う、私たちもその信仰に習おうではありませんか。

? 感謝をささげることを優先する〔感謝そのものが、神への最上のささげもの〕
「残りの9人はどこにいるのか」ここにイエス様の心があります。神の御業が現わされた時、まずは主を賛美すること、主に感謝し礼拝するため神の元へ戻ってくることがイエス様の願いなのです。
聖書は事あるごとに感謝することを優先順位の第一にしなさいと言っています。しかし私たちのやっかいなところは感情を持っていることです。うれしい時には笑い、喜び、悲しい時には泣き、頭に来た時は怒る、感情それ自体は神様が与えて下さった素晴らしいものです。けれども感情というものは時により移り変わるものです。こうして御言葉を聞き学んでいるけれども、感情の起伏により感謝できない・感謝することが難しい時があります。そのような時は意志をもって、感謝することを優先すると決めるのです。感謝しにくい時、<詩篇50篇14節><92篇1節><詩篇107篇1.2節><?テサロニケ5章18節>などの御言葉が助けて下さいます。感謝へと導いて下さいます。すると天の窓が開き、豊かな恵みが降り注がれるのです。
なぜ神様はそれほど感謝を願われたのでしょうか。

? 主は感謝の礼拝者を祝福される
感謝は状況を変えます。感謝を主にささげる時、そこは神様の領域(エリア)に変わるのです。神様がご支配され、神様が触れて下さるのです。主の愛を知って感謝をささげるならば家庭が、職場が、あなたが所属するコミュニティーが変わるのです。神様は今日そのことを教えて下さっているのだと、この御言葉を受け取ろうではありませんか。
<ヘブル人への手紙4章14、15節>
聖書はイエス様こそ祭司の中の大祭司であると書いています。私たちの弱さに同情できない方ではない、天から来られた大祭司であるイエス様に認めていただければ大丈夫なのです。
<詩篇100篇>
時には感謝できないような出来事がありますが、そのことを通していやし、解放、回復の御業のあかし人として用いられるのです。神様が新しい扉を開いて下さったことを感謝しようではありませんか。「感謝する」という大いなる武器を、豊かに用いてこの状況を切り拓いていくなら、そこに神様のご支配をもたらすのです。多くの人の目を開き、神様の御名があがめられ、御業があきらかにされるため、主は感謝を教えて下さったのです。