11月17日 メッセージ要約

『主なる神が助けてくださる』イザヤ50章4?11節
神の御言葉によって「疲れた者をことばで励まし」「暗い中を歩いて光を得ていなくても、なお主を依り頼みおのれの神に頼る」ことができるように、まず「主のしもべ」たる自分がよく聞くことです。「聞く」という行為は意識していないと難しいものです。会話は互いに言いたい事を一方的に言い合うだけでは、関係性を築くために有意なものとなりません。相手の思いや意図をくみ取るために必要なのは、まず静かに聞くことです。旧約で「耳を開く」という表現がよく出てきますが、神の言葉に聞き従うことを意味します。申命記などで、奴隷は6年間働いたら7年目には自由となりますが、奴隷が主人の元に残ることを望んだら、自ら耳をきりで刺し通すことで主人に対する従順のしるしを意思表示したのです。それゆえ「耳を開く」というのは強制的にではなく自発的に、主人(神)に対して私という存在をゆだねることを表します。神の言葉を人に教え、語るためにはまず何が真理なのか、自分がよく学ばなければなりません。研ぎすまされた剣のような御言葉をよく聞き、よく学ぶ中で心の目が開かれ本質が明らかにされるのです。 5節では主のしもべの苦難が予告されています。罪ある者のように背中をむち打たれました。イエス・キリストも人の姿をとって来られ、このような侮辱を受けながらも苦しさ悲しさ、人の罪に対する怒りを耐えられたのです。それは私たちへの愛ゆえにその苦難を引き受けられたのです。私達も人に辱められても自分自身が恥じ入ることはない、落胆、失望することはないのです。火打ち石=最も堅い石のように、信仰の堅さゆえに苦難を受けとめることができるのです。