2月2日メッセージ要約

「天の父の御旨を行う者」マタイ7章15?23節
この箇所は「山上の垂訓(説教)」の結論の部分です。ここでイエスは偽預言者に気を付けろと警鐘します。そもそも神の預言者とは、神から御言葉を預かり人々に告げ知らせる者です。またそれは未来についての予言も含まれていました。ゼカリヤ、マラキから400年以降、イエス登場までの間、預言が絶えたイスラエルの人々はこれまで語られた神の御言葉の保存、文書化の編纂事業を行いました。しかしローマの圧政に苦しむ民衆が待ち望んだのはモーセやダビデのような指導者、申命18:15の預言者でした。世が不安定になり神への期待が高まると、偽預言者や自称「神の子」が登場し、民衆を惑わしたのです。その外見や肩書やパフォーマンスが人を魅了するものであったとしても、「羊の皮をかぶった狼」かもしれません。人の本質を見極めるのが難しければ、その人が語り、行うことがどのような実を結ぶのかを、距離を置いて観察しましょう。不誠実、欺瞞があるならばやがて偽者は滅びに向かいます。一方、偽預言者らに浮き足立つ民衆を冷めた目で見ていた階層もいます。祭司階級、律法学者など宗教的エリートは政治力も持っていた為、自分たちの権威が脅かされるものは警戒していました。自分たちは選ばれている、自分たちは知っている、呪われた罪深い者たちは何も持っていないし何も知らない、と民衆を見下し、あわれみの心を持たない、関わらない、その態度をイエスは叱責します。「私が喜ぶのは慈しみであっていけにえではない。神を知ることであって焼き尽くすいけにえではない。」(ホセア6:6)イエスの怒りは神の御心を知ろうとせず、行おうとしない人々に向けられたのです。