「私のこころだ。きよくなれ」マタイ8章1?4節
新約聖書でみこころ、と訳されるギリシャ語はいくつかありますが、それらは<神に気に入られる、喜ばれる>、<神の救済意志、計画>、<神の意志>、<御心、神の望み>などの意味を表しています。重い皮膚病を患っている人が、イエスに「みこころでしたら、きよめていただけますか」と聞くと、「そうしてあげよう。」「私の意志(望み)(こころ)だ。きよくなれ」と答えられました。当時、ハンセン病や水虫、乾癬など重い皮膚病だけでなく、壁についたカビなど律法の“規定の病”になると、【共同体から隔離される】という措置がとられました。今の保健衛生的な概念からすると、感染の拡大を防ぐ目的とも受け取れます。しかし元々の意図から外れ、隔離されること自体が差別の対象となり、いつしかその病をわずらうことで人々からつまはじきにされ、蔑みを受けるようになってしまったのです。病の痛みや苦しみは人々に理解されず、罪けがれの自責の苦しみまで負わされていたのです。そのような病人が、「主よ、あなたが望まれれば、私はいやされるのでしょうか」彼は、イエスが行使される神の権威に期待し、すがりつきました。“汚れたものに触れれば、その人も汚れる”と規定される中、イエスは彼に触ることで、一切の汚れをきよめる権威者であることを示されました。神のご計画は、既に定められたこと(聖定)は人の意志いかんを問わず、遂行されます。しかし、私たちにゆだねられている部分もあります。それが「信じる者は救われる(信じないと、赦しを受けられない)」ということです。神の望みは、全ての人々が救われることです。神もまた私たちに期待し、願われているのです。神の御心を知り、それに応えてまいりましょう。
2月23日 メッセージ要約
- 2020-02-23
- メッセージ2020