6月7日 メッセージ要約

「わたしたちはその証人なのである」使徒行伝2:22?42
大勢の人に聖霊が注がれて御霊が語らせるままに他国の言葉で神をほめたたえている様子にとまどっているエルサレムの人々に対し、ペテロは立ち上がって説教を始めました。それはイエスの十字架についてと、聖霊についてです。聖霊はヨエルの預言の成就であり、神の赦しのしるしであると。十字架は神の定められたご計画であり、死の苦しみから解き放つためイエスは復活されたのだと。ペテロの解釈ではダビデはキリストの復活について予見しており、そのキリストはイエスであると語りました。復活のイエスは神の右の座にあげられた、すなわち神に最も近い栄誉ある特権を持ち、約束された聖霊を注がれたのだと。これらは生前、イエスが話されていたことでした。ペテロは身近にイエスの語られることを聞いていましたが、その時は本当に理解することはできませんでした。しかし聖霊によって思い起こされ、「あの時、主がこのように言っておられたではないか」「あの御言葉は、このことだったのか」とイエスの言葉と聖書の内容を結びつけながら、語る言葉が与えられたのです。それを聞いた人々は大いに心を打たれ、神がメシアとされたイエスを自分たちの手によって殺してしまったことに強い罪責感をおぼえて「私たちは何をすべきでしょうか」と心を痛めました。ペテロは悔い改めてキリストの名によりバプテスマを受けることを勧め、この日に3000人ほどが洗礼を受けました。人にはできないことでも、神にできないことはないのです。
私たちは皆、そのことの証人なのです。