7月12日 メッセージ要約

「彼とは誰ですか」使徒行伝8:26?40
預言書は人の目から隠されているわけでも、暗号化されたものでもありません。ただ、その預言書が書かれた文化的な背景を知り、歴史的経過を経なければ、そして神の視点(信仰)を持たなければ、そこで語られている人物が誰を示しているのか分かりません。イザヤ書53章の主のしもべの苦難と栄光の箇所を読んでも、異邦人であるエチオピヤの宦官は「彼」が誰のことなのか分かりませんでした。御霊に示されたピリポが宦官に話しかけ、「手引きしてくれなければ分からない」と答えたので、ピリポは丁寧に聖書を通して福音を告げました。国や文化の違いを越えて聖書が人々の心を打つのは、罪や汚れといった人間の本質に関わる部分を明らかにし、その罪の贖いと赦しという解決法を示しているからでしょう。時代が変わり、文明文化が進んで生活が便利になっても人間の本質は変わらず、生きることと死ぬことについて悩んでいます。当時、地位と富のあった宦官でしたが、真理を求めていました。罪の無い神のひとり子イエス・キリストがこの地に来られたことで、イザヤの預言した「彼」が明らかになったことを教えられ、宦官は信じてその場で洗礼を受けました。彼は喜びエチオピヤに帰り、かの地でイエス・キリストの福音を伝えたことでしょう。ステパノの殉教から始まったエルサレムからの迫害によってクリスチャンは全地に散りましたが、ピリポと宦官の出会いのように、一人の信じる者によって更に多くの人に福音が伝えられ救いの御業が広げられました。一人の存在は小さく弱いものかもしれません。しかし主は信じて従う者を用いて、導かれるお方です。