9月20日 メッセージ要約

「天からのマナと命のパン」出エジプト16章
無事にエジプト軍の追跡をまぬがれましたが、イスラエルの民たちは荒野で3日間、飲み水が見つかりませんでした。生存の保障がないという強いストレスにさらされ、民たちは不平不満を言い始めます。マラでは水が苦くて飲めなかったので、モーセが主に示された木を投げ入れると甘くなりました。「示す(投げる)」ヤーラーという語は「教える、指示する、方向づける」という意味があり「律法」トーラーの語源と言われます。モーセに示された一本の木は「律法」(神が人に示す御教え)を象徴しています。木を投げ入れることで苦い水が甘い水に変わったことは、神の指標である「律法」を守り、主の声に聞き従って生きることで、苦みが喜びに変わることを表しています。その後、シンの荒野で深刻な食糧問題に悩まされます。会衆の不平を聞かれ、主は夕方にはうずらを、朝には天からマナを降らせました。不思議な食べ物マナは各自の食べる分だけ、必要に応じた量だけ集めることができ、蓄えようと思っても翌朝まで取っておくことはできません。そして安息日にはマナは降らないので、6日目には2倍とっても翌日も腐らず虫もわかず食べられたのです。マナを通してイスラエルの民にされた信仰の訓練は、主が与えられるものを管理すること、安息日を守り、日々の必要は主が備えてくださることを経験として知るためでした。現在、私たちの霊の糧として、聖書の御言葉があります。いのちのパンである御言葉は、日々私たちを生かす力となります。御言葉に親しみ、神の守りと臨在を体験できますように。