「金の子牛を造る」出エジプト32章
神が律法を授ける40日の間、モーセの不在に不安を覚えた民たちはアロンに神々(偶像)を造るよう要求します。自分たちを導く存在が目に見える形でいないと、見守られている実感が湧かないのでしょう。アロンは民たちの要求を押さえきれず、金の子牛(偶像)の作成を命じて民衆に大きな罪を犯させます。後代イスラエルが南北に分裂した際、ヤロブアムは宗教改革を断行し、同様に金の子牛を造ります。すがる対象が人の目に分かる形である方が、それを所持する宗教指導者には都合がいいのです。アロンは金の子牛の前に祭壇を築き、会食のいけにえを捧げ、民たちは飲み食いし戯れます。神は「これはかたくなな民である」と怒りを表されます。うなじのこわい民:強情、頑なさを表します。神は罪を裁かなければなりません。モーセは山を下り、イスラエルの乱れ(宗教・倫理・性的乱れ)を目の当たりにして怒り、石板を打ち砕いてしまいます。そして金の子牛を焼き粉々にし、水にまぜて民たちに飲ませます。アロンの申し開きでは「この民が悪意に満ちている(民が悪い)」「身に着けている物を火に投げ入れたら、この子牛が出来た」と、責任逃れしようとします。でまかせの言い訳をしたり、自分は巻き込まれただけだと非を認めようとしない汚さ浅はかさは、アダムの代から人にはそのような性質があるのです。その点、責任を引き受けることは主体的に生きようとする者の態度の現れです。モーセはその責めを負い神に赦しを乞います。モーセの執り成しは、キリストの執り成しの型です。イエス・キリストはご自分は罪を犯されなくても、十字架により人々の罪の責任を引き受けられたのです。
10月4日 メッセージ要約
- 2020-10-04
- メッセージ2020