「恵みをいただいているのです」 ルカ1:26?38
神から遣わされた御使いガブリエルの告知に対し、祭司ザカリヤとマリヤの反応は対照的です。ザカリヤは御使いの言葉を証明するための「しるし」を求めたため、時が至るまで口から言葉が出なくなりました。マリヤは「お言葉どおりにこの身になりますように」と神に委ねたのでした。高齢の祭司ザカリヤ夫婦にとっては願ってもない奇蹟ですが、マリヤにとっては予測できる未来とは全く異なる人生です。ヨセフの愛も、世間の信頼も失ってしまうかもしれません。それでもマリヤは「わたしは主のはしためです」と自分を明け渡したのでした。モーセや士師ギデオンは召命の折、自分は相応しくないとその使命を断ろうとしました。また預言者ヨナに至ってはニネベで預言せよという使命が嫌で、タルシシュへ逃げ出したほどです(結局ニネベで預言しました)。マリヤは「他にもっとふさわしい人がいるだろう」など言い訳しませんでした。彼御使いの挨拶に「これはどういうことだろう」と考え込みました(1:29)。そして御使いの励ましと使命の告知に、信仰を働かせてそれを受け入れました。御子イエスを礼拝しに来た羊飼いたちの話は驚くべきものでしたが、マリヤはこれらのことを「心に納め、思いを巡らせました」(2:19)。イエスが12歳になり神殿で語られていた時、両親ともにイエスの言葉の意味が分からないながらも、母マリヤは「これらのことをみな、心に留めておいた」とあります。神の言葉は自分ではよく分からないと投げ出して諦めてしまわずに、素直に心に刻み、おさめる思慮深さが大切です。
11月29日 メッセージ要約
- 2020-11-29
- メッセージ2020