2月21日 メッセージ要約

 「悔い改め」ルカ13章1?9節
聖書には「悔い改め」を「神に帰る」と表現することがあります。己の向きを神の方へ直すという意味があるのです。そして罪とは「曲がる、歪む」の意です。人は弱く愚かな者ですから気を付けないと自分勝手な方向へと歩み、自己満足を優先するようになります。すると神と向き合う道からそれて、自分と人の罪が見えなくなります。この箇所では2つの事件を例に出して人々に悔い改めることを説いています。ガリラヤ人が神殿で騒動に巻き込まれた事件とシロアムの塔の倒壊による18名の圧死事件を、律法主義的に考える人々は災難に遭うのは罪による神の裁きと見なしたのでしょう。自分は正しい者と自認する人、もしくは無知ゆえに平気で差別的な発言をするものです。イエスは、「不幸にあった人々が特別に罪深かったと思っているのか、そうではない、皆罪人なのだ、あなたがたも悔い改めなければ同様に滅びる」と教えます。結果を因果応報的に解釈し「その不幸は誰々の罪のためだ」と過去の罪を暴き、責めても誰も救われない。むしろ悲しみと痛みが増すだけです。この後の「実を結ばないいちじくのたとえ話」は情け容赦ない神の裁きの話のようですが、福音を説くイエスの真意はどうでしょうか。たとえ話に登場する主人は園丁に実らないいちじくの木を切り倒すように命じますが、園丁はもう少し手間をかけてみて、もう一年待ちましょう、「それでも駄目なら、切り倒してください」と提案します。実を結ばなくても切るのは忍びなくて私には出来ない「切るならあなたが切り倒せ」と言っているのです。人が罪を悔い改めるまで、もう少し待って下さいと神にとりなし、誰も滅びないように救いを説かれるお方がイエスです。