3月14日 メッセージ要約

 「反逆と愛息の死」ルカ20章9?18節
イエスに反対する宗教指導者たちも手をこまねいていたわけではありません。イエスから民衆の支持を失わせようと嫌らしい質問を繰り返します。そんな指導者たちに怒りと悲しみと憐れみをもって「ぶどう園の悪い農夫」のたとえ話をされました。ここでも3つのありえないことが話されています。?ぶどう園の乗っ取り、領主に対する反逆。クーデターの成功は力の掌握の可否にかかっています。少し知恵のある者が農夫の中にいれば「主人の力は圧倒的だ、そんなこと成功しない」と止めたでしょう。法的にも倫理的にも筋が通らない。しかし、ぶどう園に執着する悪意ある農夫たちは主人から遣わされた3人のしもべを袋叩きにし、侮辱して帰します。主人に宣戦布告したようなものです。?主人は即刻、力をもって反逆を鎮圧すべきなのに、4人目に愛する息子を遣わしています。この主人は何が起きているのか分かっていないのか、または呆れるほどお人好しなのでしょうか。主人の発言には「今度こそ敬ってくれるだろう」とありますから、農夫たちの悪意ある企ては承知の上で彼らの反省と悔い改めを期待し、愛息を送り出していたのです。しかし主人のその心を知ろうともしない農夫たちは、相続者であるあの息子を殺せばこのぶどう園は自分たちのものになると勘違いし無法を行います。?愛息の死を知った主人はついに彼らを滅ぼします。そしてこれまで農夫に管理を任せていたぶどう園を他の誰かに与えるというのです。ここまでの話に「イスラエルにこのようなことがあってはならない」と聞き入る人々。しかし宗教指導者たちは、このたとえ話は自分たちに向けられていると気づき「あの邪悪で厚かましく愚かな農夫たちが我々のことだというのか」と憤慨します。農夫たちにとって滅びは当然の報い(結果)でしょうが、思いがけずぶどう園を与えられる者にとっては突然降ってきた恵みです。捨てられた石が、かしら石(基礎)となる(詩篇118:22)。イエスはこのたとえ話で、宗教指導者たちが自分の正しさに目がくらんでいると神の恵みを受け継ぐことができなくなる、と忠告しているのです。