「罪の赦し」ルカ23章32?49節
反イエスの宗教指導者たちはイエスをただ殺すだけで良しとせず、その影響力を完全に消し去るため偽キリストとして公衆の面前で侮辱を加えます。計算高い彼らはユダヤ総督府を巻き込みローマの力を利用しようとピラトの元にイエスの身柄を送ります。しかしピラトからすると死罪に該当する罪をイエスから見つけることは出来ません。ピラトは領主ヘロデの元にイエスを移送しますが、再びピラトのもとに送り返されました。結局、イエスを亡き者にしたいが誰もイエスを死刑にする責任を負いたくないのです。それでイエスは3つの裁判を受け、最終的な判断をピラトが下し死罪にされました。十字架刑はすぐ死には至らない痛みと苦しみを与えつつ殺す当時の死刑の中で最も残酷な方法です。木に上げられたイエスは「父よ。彼らをお赦しください」と執り成されます。気絶しそうな痛みの中、自分を侮辱し痛めつける者たちのために祈られました。「父よ」イエスから神への親しい呼びかけは、宗教指導者たちからすると神への冒涜です。真実の目が塞がれている人々の反応は「キリストであるなら自分を救ってみろ」というのでした。極限の状況の中、私たちは神を信頼し仰ぎ見続けることが出来るでしょうか。共に十字架刑につけられた一人はイエスをののしり続け、一人はそれをたしなめイエスに「あなたが御国に入る時、私を思い出して下さい」と言います。イエスの祈りを聞き心に著しい変化が起こって信仰告白したのです。地上の生涯を今まさに終わろうとする間際に救い主を信じた彼もまた、失われて迷い出た一匹の羊でした。「よく言っておくが」イエスが重要な真理を話される前の常套句です。「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいる」遠い未来の話ではない、それは今日だと言うのです。「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます」最後までイエスは父なる神に対する信頼を失いませんでした。真理の近くにいても、目の前に神の子(救い主)がいても、罪により本質が見えないことがあるのです。イエスを信じ、神の愛を見ること知ることができますように。
3月28日 メッセージ要約
- 2021-03-28
- メッセージ2021