「キリストの葬り」 ルカ23:50?56、ヨハネ19:38?42
罪に目が覆われて真理(本質)が見えないことがあります。また強い同調圧力(共同体や職場、グループ内で意思決定・合意形成を行う際、少数意見を多数意見に合わせようと誘導すること)に負けて不鮮明な態度をとったことで、後に本人は後悔するということがあります。イエスの十字架による死が契機となり態度を鮮明にした人物にアリマタヤのヨセフとニコデモがいました。またイエスを十字架につけたピラトは「手を洗い」この件については私には責任がないと表明しましたが、十字架刑の現場責任者の百人隊長は「本当に、この人は正しい人であった」と神を崇めています。ピラトはその後にアリマタヤのヨセフからイエスの遺体の引き取りの願いを聞き入れ許可しますが、彼自身は神に対する恐れやイエスに対する信仰の態度を表すことがなかったことにより使徒信条に名前が記され教会で忘れられない者となったのです。アリマタヤのヨセフはユダヤ人議会の議員の一人で善良で正しい人との評価を得ていますが、ユダヤ人を恐れ、十字架以前にイエスに対する信仰を公に表明出来ないでいましたが、イエスを排斥しようとする議会の決議や行動に同意はしていませんでした。(※彼やニコデモのような議員が少なからずいるので冒涜罪によるイエス死刑の裁判は、夜中、臨時に反イエスの議員が徴集され行われた。)アリマタヤはヘブル語ではラマハイムで、旧約でラマの名称で登場する地名です。ラマ出身の預言者サムエルによりイスラエル最初の王サウル、ダビデが任命され油注ぎを受けました。そのラマゆかりのヨセフがイスラエルの真の王イエスの葬りを行うというのです。犯罪人の遺体は墓に葬られず谷に捨てられることもあった時代です。死者の葬りは、その死者との生前の関係性を反映するものです。未だ反イエスの立場の人が多い中、イエスの遺体を引き取ることで自分の立場を表明したのです。ニコデモにしても没薬30?を葬りのため準備しています。イエスの遺体に関わることにより共同体内で被る不利益よりも自身の立場を明らかにすること(信仰を表明することになる)を選んだのです。彼らがとった行動やそれに至るまで恐れや不安はあったかもしれませんが、死者の葬りはイエスのよみがえりにより死と復活の証明になったのです。
4月4日 メッセージ要約
- 2021-04-04
- メッセージ2021