4月11日 メッセージ要約

「キリストのよみがえり」 ルカ24:1?12
アリマタヤのヨセフが用意した墓にイエスの遺体がおさめられた時は夕方で、安息日が始まりかけていました。本来なら遺体には腐敗防止の油をぬりこんだ上で石の棺にも没薬を注ぎこみます。香料を用い葬りのための作業を終えるのですが、それは安息日明けまで持ち越されました。ヨセフは残りの作業を安息後、出来るように墓の入口はしっかり塞いでしまわず、人が入れるように少し開けて石を転がしておいたのですが、祭司長たちはピラトにイエスの墓に番兵を置くように頼み込み、墓の入口も封印してしまいました。マタイの福音書によると、安息日が終わった明け方、大きな地震があり主の御使いが墓の石を転がしたので、番兵たちは震えあがって動けなくなりました。香料を携えて墓にやって来たマリヤたちが墓の中に入ってみると、イエスの遺体がなくなっていました。遺体が傷つけられ侮辱されるために盗まれたのだと早とちりし、途方に暮れました。これから先どうしたらいいのか分からない。わずかな望みが消えてしまった。彼女たちだけではありません。イエスに従っていた多くの者たちが途方に暮れていたのです。しかし彼女たちの前に御使いが現れ話しかけました「その方はここにおられない。よみがえられたのです」思い出せ。イエスが十字架以前に話されていたことを。救い主は?引き渡され?十字架にかけられ?三日目によみがえる。神の救いのご計画のためにイエスの身に起こることをすでに予告され、それが実現されたのです。彼女たちは神の憐れみにより思い起こすことが出来、「イエス様はよみがえられた」と歓喜し、急いで弟子たちにこの福音を伝えに行くのです。しかし、弟子たちはこの喜びの知らせを受け取れませんでした。女性たちの証言と主イエスの復活を信じられなかったのです。先入観や思い込み、高慢さが真理を得させることの邪魔をします。復活を信じることができなければ人生のその先、死と滅びを前に希望を見失い、虚しさに思考が行き詰まり、進むべき道が見えなくなってしまいます。復活の真理を理解するため謙遜さを得させてくださいと祈りましょう。