「エマオの往路」 ルカ24:13?32
イエスが死なれ三日後、女性たちは葬りの残りの作業を行うために墓に行くと御使いが現れ「イエスのことばを思い出せ」と話しかけるのです。?引き渡され?十字架につけられ?三日目によみがえる。女性たちは歓喜し、弟子たちに報告するのですが弟子たちは信じることが出来ません。イエスは生きていたのか、いやローマ兵によって確実に殺されたのを大勢の目が見逃すはずがない、では女性たちは悲しみのあまり幻を見たのか?「不思議なことがある」クレオパら二人は暗い顔をしてエマオへ向かって歩いていました。すると「何の話をしているのか」もう一人が話に加わってきました。二人は先入観や思い込み、常識やつちかってきた経験らが邪魔をして、それがイエスだと気づくことが出来ません。彼らからするとイエスがここにいることはあり得ないのです。「あなたはエルサレムでの出来事を知らないのか」イエスがイスラエルを救ってくれると期待していたのに十字架につけられ殺されて望みは絶たれたこと、しかも遺体が無くなったということ。イエスはよみがえったと女性たちは喜ぶが自分たちには分からないと彼らは意気消沈です。恐れや不安のため知性がにぶくなっている彼らに、イエスは旧約聖書を用いてメシアについての預言の成就について話し聞かせました。二人のこれまでの聖書知識がキリストについて繋がり結び合わされ理解が進みます。イエスはなお先に進み行きそうでしたが、彼らは強いて引き留め懇願したのです。「わたしたちと一緒におとまりください」食事をしながら、神の御言葉をキリストのことをもっと聞きたい、教えて下さいとイエスに求めました。ともに食卓につきイエスがパンを祝福し割き、渡された時、彼らのふさがれていた真理を見る目は開かれ、今まで話して下さっていたのが主イエスだと気づくことが出来たのです。
4月18日 メッセージ要約
- 2021-04-18
- メッセージ2021