4月25日 メッセージ要約

「イエスは聖書を悟らせるために」 ルカ24:33?49
イエスがすでに予告していたキリストの条件は?引き渡される?殺される?よみがえる。これらの「必ず?なければならない」が成就しました。しかし弟子たちはイエスがよみがえられたことを信じることができません。そこでまず御使いから女性たちへ主イエスのよみがえりを告げられ「思い出す」ことが出来、クレオパらは聖書を理解していく中で心が燃やされ更に真理を求めたところ目が開かれ復活のイエスを信じることが出来ました。マタイの福音書では、「疑い」信じることができない人もいたことが分かります。目の前で神の奇蹟を見ることができても、復活のイエスに直接お会いできたとしても、聖書の裏付けによる理解がなければ信仰に入ることはできないのです。復活のイエスは11人の弟子とその仲間たちの前に現れ、聖書の教えを悟らせるために「彼らの心を開いて」語られました。ここで言う心は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛せよ」(ルカ10:27)の、思い(知性、理解力、判断力、分別、考える力)を示します。心を開く、という表現は使徒行伝16:14のヨーロッパ伝道で紫衣の女性商人ルデヤに「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」でも見られます。亡くなったはずのイエスを目の当たりにして、弟子たちは幽霊だ幻だ、と恐れと驚きと不安で心の目がふさがれました。イエスは彼らを現実に引き戻すために共に食事をし、復活を現実のこととして実感し信じられるよう、聖書全体から解き明かされました。「私の手や足を見なさい。まさしく私なのだ(私自身だ)」とは、キリストの自己宣告です。キリストがご自分を表す宣言は[いのちのパン、羊の門、世の光、真理、道、命]7つあります。苦しみを受けて三日目に死人の中からよみがえった、復活の体が救い主のあかしであり、聖書の預言の成就なのです。そしてキリストの名によって罪のゆるしを得させる悔い改めが諸々の国民に宣べ伝えられることを宣言されたのです。