「主の前に心を注ぎだし」サムエル記上1章
エルカナにハンナとペニンナという2人の妻がいましたが、ペニンナは嫉妬しハンナに嫌がらせをしていました。アブラハムの妻サラとハガル、ヤコブの妻レアとラケルのように聖書では昔から夫の心を自分に向けるための女性たちの争い、苦悩が記されています。ハンナは自分に子どもがいないことをひどく悲しんでいました。エルカナはハンナの気持ちを知り、自分なりに愛情表現をしていましたが、それは彼女のなぐさめとはならず、悩みのゆえに食事が喉を通らなくなるほどでした。ハンナは主の前ではげしく泣き、誓願を立てます。もし自分に男の子を授けて下さるなら、神にとって役に立つ人物としてこの世に送り出す、と。神殿で長く祈っているハンナの様子を見て、祭司エリが声をかけ理由をたずね、「安心して行きなさい、神があなたの願いを聞きとどけられるように」と言います。主の御前で心を注いで祈る、というのは、耳障りのいい優等生的な祈りを口にするのではなく、悔しい気持ちや恨めしい気持ち、怒りや失望やあせりなど、全ての心の内を神様に知っていただいた上で、神に受け入れられるプロセスを経験することです。夫のどんななぐさめの言葉も届かない、心の深い所に神は触れて下さったから、エリの言葉を通してハンナは神にゆだねる信仰を与えられ、平安を受け取って帰り、食事をし、その顔から憂いは取り去られたのでした。彼女の周囲の状況は相変わらずでも、ハンナの内面(心)が変えられたのです。「何事でも神の御心にしたがって願うなら、神は聞いて下さるということ、これこそ神に対して私たちが抱いて)いる確信です」(ヨハネ?5:14)神は私たちの心からの祈りを聞かれることによって、ご自身のすばらしいご計画の中で私たちを生かそうとされるのです。
5月9日 メッセージ要約
- 2021-05-09
- メッセージ2021