6月13日 メッセージ要約

「わたしにあるもの」使徒3:1?10
豪華な門は権威や富の象徴です。聖所を囲む回廊の南北に4つずつ、正面の東に2つ門があり、これらの内9つは金銀でおおわれていましたが、東側の1つはコリントから運ばれてきたもので、他の門よりはるかに大きく値打ちのある分厚い金銀で最も高価に飾られていました。参拝者の多くはこの正門をくぐったであろうし、生まれつき足のきかない施しを受けていた男も、最も人通りの多いこの「美しの門」に誰かに運んで来てもらって、参拝者に施しを乞うていました。それは毎日のことで、大勢のエルサレムにいる敬虔なユダヤ人が彼を見知っていました。ペテロたちもこの男を見たのは初めてではなかったでしょう。しかし男が施しを求めた時、ペテロは聖霊に心を動かされ彼に関心を持ち、深いあわれみをもってこの男を見つめました。そして注意して自分たちを見るように言いました。彼との間にお金や物をはさまず、人格対人格の関係を求めたのです。男は何かくれるのかと期待して、目をあげてペテロとヨハネを見ました。男はこれまで律法主義の世界では神の祝福を失った者として、大勢の人々の無視やさげすみ、うとましい視線を浴びてきました。彼の人格には関わろうとせず、ただ律法に書かれているから施しをするという人の義務感にすがって生かされてきました。ペテロは「金銀はわたしにはないが、わたしにあるもの(金銀にまさるもの)をあげよう」と言いました。この権威と富の象徴である門であなたは施しを受けて養われてきた、しかし今あなたに最も必要なものは神の救いだ。「イエス・キリストの御名によって歩きなさい」(歩み続けよ)と命令し、彼の手をつかんで起こすと、両足の くるぶしが強められ、40年来生まれてこの方、立ったことも歩いたこともない人間が躍り上がって飛び跳ねました。たった一言で、リハビリを繰り返すこともなくただの1回で足のきかない人が歩き回れるようになるのは紛れもない奇蹟です。そしてこの瞬間から、彼は疎外されてきた社会に復帰することができるようになったのです。主は自分が求めるもの(その日の食い扶持となる金銀)よりも、もっと長く自分を生かすものを与えて下さるお方です。