6月27日 メッセージ要約

「命の言葉を漏れなく語る」使徒行伝5:12?32
美しの門でいやしの奇跡を行ったことによりペテロとヨハネは捕らえられ、その後ゆるされてから多くのしるしと奇跡が使徒たちの手により行われました。民衆は、使徒の共同体には入ろうとはしませんでしたが、彼らを尊敬し認めるようになりました。エルサレムだけでなく付近の町からも大勢の人がやってきて、ペテロたちにいやしの業を求めるようになりました。そこで大祭司とサドカイ派の者たちが嫉妬し、再びイエスの弟子たちを捕らえました。ところが夜、主の御使いが使徒たちを錠のかかった獄舎から連れ出し、「宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」と言いました。夜が明けて、大祭司とその仲間の者たちは議会を召集し、使徒たちを引き出そうとしましたが、番人が見張っていたはずの牢の中には誰もいませんでした。彼らが宮の庭に立って、人々を教えていると報告され、宮の守衛長らが使徒たちを連れ戻しに行きましたが、多くの民衆が抗議して石を投げてくるのを恐れ、手荒なことはできませんでした。議会で大祭司が「あの名を使って教えてはならぬと厳しく命じておいたはずなのに、エルサレム中にあなた方の教えを氾濫させている。権威に逆らい、命令を無視して、民衆を扇動し、イエスの血の責任を私たちに負わせようとたくらんでいるのだろう」と追及するとペテロたちは、「人間に従うよりは、神に従うべきである」と断言し、「ユダヤ人たちはイエスを呪い十字架にかけたが、神はイエスをよみがえらせ救い主とされた。神の御心はイエスにあることは確かで、私たちはその証人だ」と、投獄されることも恐れず堂々と証言しました「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい」(?テモテ4:2)使徒たちが番兵の監視下から獄舎を出られたのは、神の介入があったからです。また病人や汚れた霊に苦しめられている人々が、使徒の祈りによって一人残らずいやされたのも、何千人もの人が主を信じたのも、聖霊が豊かに働かれたからです。奇跡は伝道のためのパフォーマンスではなく、魂の救いという人ひとりの命の尊厳にかかわることです。肉体的または霊的に悩める人々を救うために、それを望まれる神の権威によってしるしと不思議が行われたことを知る使徒たちは、この「命の言葉を漏れなく語る」ことに自分たちの全てをささげることにしたのです。