「私は主に仕える」ヨシュア記24:14?30
ヨシュア記の24章でイスラエルは「私たちは主に仕えます」と、これまでの契約を更新(シュケム契約)します。これまでの契約とは、アブラハム、イサク、ヤコブなど偉大な先祖が結んだ契約にシナイ、モアブとその地で結んだ契約です。アブラハム以前にはアダム、ノアに結ばれた契約があります。「わたしは?こうする」という神からの一方的な祝福の約束もあれば「?すれば??こうなる」と刑罰を示すものもあります。分類にもよりますが旧約聖書には10ほどの契約が数えられます。「神との契約」これがイスラエルの特殊性です。「神の選びと契約」これは新しい契約に生きるクリスチャンの特別性でもあります。「私と私の家族は主に仕えます」(信仰の継承)これは今日のクリスチャンの課題の一つではないでしょうか。信仰の賜物の受け取り手として果たす責任とは、福音の伝道です。大切な事は、伝え手自身が神の愛と恵み、罪の赦しの大きさを知ることです。恵みの祝福を十分に受け取ることです。現在の不満や未来に対する不安に勝る恵み、それを感謝できる人は平安に満たされるでしょう。詩篇23篇の信仰が実現するのです。祝福の反対は「のろい」です。「のろい」とは、悪意をもって他人や社会に災いや不幸をもたらすものです。私たちを取り巻く社会やネットなど情報媒体には「のろい」で満ちています。「私は主に仕える」今こそ私たちクリスチャンがとりなし手として祈り、世に祝福の福音を伝える時です。
7月25日 メッセージ要約
- 2021-07-25
- メッセージ2021