8月22日 メッセージ要約

「ギデオンの過失」士師記8章22?33節
イスラエルの人々はギデオンが王になることを望みましたが、ギデオンは「主があなたがたを治められます」とはっきり断ります。その代わり、ミデヤン人から奪い取った金の耳輪を自分の分け前として提案しました。民衆が差し出した貴金属は1700シケル(約20?:1億3千万円相当)あり、その集めた金でエポデ(祭司がいけにえを献げる際などに着用するチョッキのようなもの)を造り、自分の町オフラに置きます。聖書では「それが罠となった」と書いています。モーセやヨシュアも民衆全体の利益を守ってきた指導者でしたが、ギデオンは個人的な報酬を求め、故郷に錦を飾るつもりでエポデを置いたのでしょう。神の召命を受けた時、町中のバアルの祭壇を壊しアシラ像を切り倒したギデオンが、宗教的権威の象徴として作った立派な金のエポデにより民衆に偶像礼拝の道を開いてしまいました。どこかで気づいてエポデを叩き壊すなどしたら、過ちをつぐなえたかもしれませんが、それはありませんでした。ギデオンは異性の誘惑も弱く、多くの妻がいて子どもは70人いました。しかし妻でない女性の子アビメレクが69人の兄弟を殺すという惨劇を起こしています(9章)。ギデオンの死後、イスラエルの人々はギデオンによって敵から救われたことを忘れ、ギデオンの一族に善行に報いる誠意を示すことはなかったとあります。民衆がギデオンの晩年の生き方を喜ばなかった為、心が離れていたのでしょう。イスラエルの指導者の責任の一つは、民衆に信仰を持って神に目を向けさせ、御心を求めることでしょう。この点でギデオンは指導者として過失がありました。悔い改めとは方向転換することです。自分勝手に進んでいたところから神の方に向きを直す。反省と悔い改めの違いは、自分の立ち位置から神の方へ、視点と行動を変えるところです。故意にではなく、不注意によって不利益な結果を招いたのだとしても、ダビデはすぐ悔い改め、神の御心へ進み直す人でした。ダビデの特質、見習うべき点はそこです。