8月29日 メッセージ要約

「勇士エフタ」士師記11章
イスラエルの人々は主を捨てて他国の神々に仕えたため、アンモン人の攻撃を受けて苦境に立たされました。イスラエルの人は結集しましたが、指揮官にふさわしい戦いに長けた人物がいません。部族の頭である長老たちに乞われて、ごろつきの頭であるエフタが首領となりました。エフタはまずアンモン人の王に使者を送り、出エジプトにまでさかのぼって先祖たちがこの土地に住む正当性を述べ、撤退するよう進言しますがアンモン人の王は聞き入れませんでした。そこでエフタは戦いに出るのですが、「もし勝利するなら、無事に帰った時に最初に出迎える家の者を焼き尽くすいけにえとして捧げます」と誓願を立てました。一度誓願したことは破ることはできず、必ず果たさなければなりません。誓願を立てるのは個人の自由意志であって聖書では勧めておらず、人身御供はむしろ主は否定されています。
イスラエルの歴史をひもときアンモン人の王に反論したエフタでしたが、土着の異教の影響を受けた間違った信仰観により、このような方法をとってしまいました。「私はこれだけの犠牲を捧げる、頑張る、だから神様、それ相応の結果を与えて下さい、報いて下さい」自分の口から出た言葉が我が身に返ってきた時、エフタはたった一人の子どもを失うこととなり、エフタの家は絶えました。自分に課せられ期待されている働きに重圧を感じ、不安や恐れから神様と取り引きするのは人間側の発想です。主は人間の罪のために、ひとり子イエスという尊い犠牲を払われました。私たちが誓願を立てて払う犠牲など、到底及ばないものです。最も凶悪な「死」という敵に主は勝利されたことを喜び、私の代わりに主が既に犠牲を払って下さったことに感謝し、主の御心が成るのだと未来を先取りして平安を得ること、それが私たちの信仰です。