9月26日 メッセージ要約

「ダン族の大移動」士師記17、18章
ミカ(ミカ書の預言者とは別人)はかつて母の資産を盗み、それを知らず母は盗んだ者を呪います。ミカが自分の罪を母に告白して銀を全て返すと、その銀の一部で母は彫像と鋳像を造ります。律法では偶像を造ることは禁止されています。また旅のレビ人を家庭の祭司として任命します。律法が守られておらず、十分の一が献げられなくてレビ人の生活が困窮し、この人は各地を転々とせざるを得なかったのかもしれません。さてサムソンが出たダン族は東地中海沿岸が割当地でしたが、ペリシテ人の支配が強く、一部のダン族はそれを嫌って他の部族の影響の弱い北辺の地を見つけ、先住民を武力で制圧して移住します。その際に、途中で立ち寄ったミカの家にある彫像を略奪し、住み込みの祭司(レビ人)も無理やり奪っていきました。イスラエルに王がなく、この頃の時代は宗教的に混沌とし、倫理や道徳の乱れから人心がすさんでいるようです。「おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた」と記述されています。日本でも正月は神社に行き、葬式は仏教、結婚式はキリスト教、家の中に仏壇と神棚が違和感なく並んで据えられている、それを宗教的寛容という見方をする傾向があります。しかし創世記のアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べるところで「自分の考え、判断こそが正しい」と思うことこそが間違いの始まりだと書かれています。この話の中でミカも、祭司も、ダン族の者も誰一人として
主にうかがうことなく事を進めています。人間の都合を神の御心に結びつけて、自分が好ましいと思うことを主が認めていると言い、自分勝手に歩むことが偶像礼拝の道、罪なのです。自分が良いと思うだけで御心にかなわない行いは、その時は自分の利益に見合うようでも、後で痛みを伴う結果を招くことを聖書は教えています。