10月3日 メッセージ要約

「ベニヤミン族に制裁を」士師記20章
19章で、旅のレビ人の一行は日が暮れたのでベニヤミンの町に泊まろうと訪ねますが、広場で待っていても町の有力者など出迎えてくれる人がいません。その町に寄留しているエフライム出身の老人が家に招いてもてなしていると、ならず者たちが家の前に押しかけてきました。ソドムとゴモラの出来事を想起させるような事件ですが、これを恥ずべき行為としてイスラエル全土から40万の兵士が集まり、ベニヤミン族に使者を送って「そのごろつきどもを差し出せ」と要求します。しかしベニヤミン側にも見栄と面子があり、干渉されるのを拒み、戦うことを選びます。久しく主の御心をたずねることのなかったイスラエルですが団結し、神に問いながら出撃します。ベニヤミンの精兵を前に二度敗北し、「同胞であるベニヤミンと戦うべきではなかったのでしょうか」と神に問うも、主は二度とも「攻め上りなさい」と言われます。
三度目の戦いでベニヤミンは敗北し、壮年男子のほとんどが剣に倒れ、さらにイスラエルの兵士は「我々は誰一人として娘をベニヤミンに嫁がせることはしない」と神に誓ったので、ベニヤミン族は存亡の危機に陥ります。ヨシュア記22章では部族同士で争いになるところを回避できたのに(7/18礼拝説教)、それから約350年の間に王はなく各々が自分勝手に生き、イスラエルの連帯は薄れ12部族の一つが欠けるかもしれない状況まで引き裂かれたのです。しかし神はベニヤミンを滅ぼし尽くせとは言われませんでした。諸部族も「ベニヤミンが絶えてはいけない」と嫁がせる娘たちを他から選び、命脈を保つよう采配しました。このベニヤミン族から後にイスラエル最初の王となるサウルが出、モルデガイとエステルがユダヤ人の命をつなぎ、新約ではパウロが命がけで伝道する器として用いられます。ベニヤミン族が生かされ、神の御業に用いられた不思議は私たちの価値観では計ることができません。主のご計画をほめたたえ、信仰の目を開かせて下さいと祈りましょう。