10月24日 メッセージ要約

「主の言葉によって」サムエル記3章
出エジプトの時代、全イスラエルの会衆に神はご自身を現されましたが、サムエルが少年の頃は「主の御言葉が臨むことはまれで、幻が示されることもなかった」状況でした。主の宮で神が「サムエル、サムエル」と呼びかけたのはいつもと変わらぬ静かな夜のことでした。そして初めて神から語られた内容が、エリの家に下る審判についてだったのです。恩師であり育ての親であるエリを断罪することにためらい、サムエルはそのお告げをエリに語るのを恐れます。しかしこの老祭司はどんな告知にも耐える勇気を与えられており、サムエルに真実を語らなければ呪う、と強く迫ります。神の言葉、神がなさろうとしている事を伝えることに手心を加えたり隠したりしてはならない、聞き手が誰であろうと(身内の者や王や群衆をおそれて)神が語れと命じられたことを曲げたりしてはならないと、御言葉を託された者(預言者)の責任と覚悟を自ら示したのです。そしてサムエルが包み隠さず話したことを、エリは一言も弁解をせずに聞き「主が良いと思うことを行われますように」と答えました。神の呼びかけに「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と応えたならば、それが耳の痛い話であっても「主の目にかなうことを、どうぞ行って下さい。主の御旨が成りますように」と神の意志を尊重することが「主に従う」ということです。この夜の出来事から、神はサムエルの耳を開かれ、御言葉を語り出したのです。サムエルは「信頼するに足る主の預言者」としてイスラエルの人々に認められました。神の言葉を与えたり、取り去ったりするのは神の自由です。神は思いのままにお語りになります。サムエルの言葉は「一つたりとも地に落ちることはなかった」ため、広く民に及んだとありますが、それは「主が彼と共におられた」ためです。サムエルは神に仕える者としての資質、謙遜と柔和をもって預言者としての責務を全うしていたので、神にも人にも認められたのです。