説教「新しいいのちを生きる」ペテロ第一の手紙1:3?9
本年の淡路教会標語は「新しいいのちを生きる」です。キリストにより新しくされた人生を、主イエスを仰ぎ見ながら生きる中で、キリストと似た者として造り変えられて行くのです(?コリント3:18)。人生には困難があり、問題が起こります。信仰を持っても思い通りにはいかず、解決に至らない試練(重荷)があることも確かです。パウロは痛みを取り去って下さいと三度も願いましたが聞き入れられませんでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さの中で完全に現れる」と主から言われ、パウロは高ぶることのないための「とげ」として、主があえて残されたものだと理解し「私は、弱い時にこそ強い」と証しました(?コリント12:9‐10)。手紙が書かれた時代、キリスト者を取り巻く状況は決して良いものではありませんでした。ローマ皇帝ネロによるクリスチャンへの迫害が始まった頃で、キリスト信仰を持つことで迫害されるそのような息苦しい時代でした。当時の状況を知って手紙を読むと違和感を覚えます。そこには喜びと感謝があるからです。手紙はキリスト者を励まし慰めを与えつつ信仰生活を指導するものでした。キリストの復活は信じる者に生きる望みを抱かせます。信仰に生きる者の動力は、神から与えられる恵みなのです。コロナ規制による閉塞感、不安定な国際情勢、経済格差の広がる社会、現代に生きる私たちを取り巻く状況も、決して平安なわけではありません。しかし朽ちることのない永遠のいのちを受け継ぐ者とされた恵みに感謝し、神に愛され救われた喜びに生かされる者に、神は生きる望みと力を与えて下さるのです。
1月2日 メッセージ要約
- 2022-01-02
- メッセージ2022