3月13日 メッセージ要約

「キリスト者の苦しみ」ペテロ?4章:12?19節
先週は貢献について言及しました。貢献とは物や行為をささげることです。聖書に「貢献」という言葉は出てきませんが「ささげる」ことは信仰生活の大切な行為です。礼拝や賛美、祈りは神に向けておささげします。行為や努力の方向性についてですが、人は他人の評価や認められた感がないと承認欲求が満たされず不遇感が増します。家族や職場、地域に貢献することにより神の素晴らしさが現されていくことに喜びを見出す、という視点があるという話でした。しかし間違った思想、カルト的な宗教やテロリストの共同体に命がけで貢献したとしても、沢山の人を恐怖に巻き込み、憎しみと深い悲しみを与えるだけです。無私のご奉仕のつもりが一人よがりのもので、自己満足で終わってしまう場合もあります。聖書では、貢献することは何が基準になると書いてあるでしょうか。(?コリ8:1)「愛は人の徳を建てます」(口語訳)「知識は人を高ぶらせるのに対して、愛は人を造り上げます。」(聖書協会共同訳)神の愛に基づく行い、言葉は相手の人格(徳)を高めることに貢献するというのです。これが「私の行為」を判断するものさしです。また、「全てのことが許されています。しかし、全てのことが益になるわけではありません。‥全てのことが人を造り上げるわけではありません」(?コリ10:23)とも書いてあります。その言葉は「誰でも、自分の利益ではなく、他人の利益を求めなさい」と続きます。それぞれ与えられた賜物をどう用いるか、それは互いに仕え合うためです。愛は多くの罪を覆うとあります。そして自分の悪によって(罪人として)苦しみを受けることがないように身を慎みなさい。しかしキリスト者として苦しみを受けるのなら恥じてはなりません、神を崇め、真実である創造主に自分の魂をゆだねなさいと語っています。繰り返し「苦しみ」について語るペテロ自身が、苦難の真っただ中にありました。しかし彼は喜びなさい、神の栄光が現されると人々を励ましています。試練を耐えるのは容易ではありませんが、ペテロのように信仰の勇気をいただきましょう、神は試練を通して私たちを成長させて下さいます。