4月3日 メッセージ要約

「思い出せるように」ペテロ?手紙 1:12?21
過去の記憶はより強い感情とともに残るものです。辛くて大変な時、どうしたらいいか分からない時、声をかけられ助けられ励まされた、嬉しかった事があるでしょう。また肉体の痛みの記憶は薄れても、心の痛みや悲しみ怒りといった感情は残るものです。しかし過去をどうとらえるかで受け取り方が変わり、同じ出来事でも意味が全く異なって見えてくることがあります。決定論と目的論という考え方があります。決定論とは「何か」「誰か」に依存するとらえ方で、一つの結果には複数の要因が重なるものなのに「時代が悪かった…あの人のせいだ‥」のように1つ2つの理由を選び、その責任にするのです。それに対し目的論とは、自分が定めた目的・目標の結果として、起こった出来事を引き受けるというとらえ方、誰かを責めるのではない主体的な考え方です。さてペテロは、苦しい状況でも神の恵み(罪の赦しと永遠のいのち)を繰り返し「思い出せるように」と励ましています。自分が地上から居なくなっても今まで語ったことは聖書に基づいたものだから、思い出して信仰に結びつけるようにと。信仰の豊かさとは、恵みの経験の積み重ねです。確信をもって信仰の証しができるのは、御言葉がより処だからです。キリスト者の幸いは御言葉に裏付けられた人生の目的が分かっていることです。ところが自分の価値観にそぐわないために御言葉を自分勝手に解釈したり、私的利益を優先するため真理を曲げて教える人々が現れ出しました。そのためペテロは「聖書の預言を自分勝手に解釈するな」と警鐘を鳴らします。自分の願いや利益のため生きるのではなく、神の愛、キリストの恵みに生きるのです。