「主が言われたことばのように」列王上17:8?16 要約?
「やもめはエリヤの言葉どおりにした」というのは大きな決断でした。このパンを食べたらあとは死を待つのみという状況から、エリヤの言葉にわずかな希望を感じ、信じ従って行く生き方へ方向転換した瞬間でした。神の御言葉を聞いて、神に生かされる人生があるのです。ただ生きるのだけではなく、いかに生きていくべきかが大事なのです。神を信じたキリスト者は、どこに幸福を感じることができるのでしょうか?富でも名誉でもない、聖書では「一番すぐれているものは愛です」と言っています(?コリ13:13)。性愛や物事への執着ではなく、神の犠牲の愛のことです。偽りのない愛、真実の愛はいつまでも朽ちずに残るもの、一番尊いものです。神を愛する者、信じる者は、人を愛することで幸福を感じることができるのです。仕事にしろ家庭にしろ、報酬または人からの承認を得るために行うのではなく、相手を敬い、共に存在する家族のため、職場のため、地域、社会のために貢献することで自分自身も生かされていることを知るのです。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:12-13)人の罪のために十字架でいのちを捨てられたキリストの犠牲、これ以上に大きな愛はありません。やもめの女性がエリヤにパンをささげたのは、人の命を生かすために自分の食べる分をゆずった行為は、犠牲の愛です。しかしそれは嫌々ではなく、無理強いされてではなく、神のことばを信頼して行ったことから、彼女もその家族も幸福を得ることができました。神の戒めを守り、御言葉に従う者は「(キリストの)喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされる」(ヨハネ15:11)のです。
5月8日 メッセージ要約?
- 2022-05-08
- メッセージ2022