5月8日 メッセージ要約

「主が言われたことばのように」列王上17:8?16
大災害、戦争、食糧危機など社会的な問題がおこった時、困窮するのは弱い立場の人たちです。今日の聖書箇所では、自然災害により生きる糧を失った異教の母子の話です。神が御業を行う時、経済の豊かな人や立場のある人を用いず、むしろ困難を抱え込んだ人が用いられたりします。ザレパテの母子は残りわずかな小麦と油でパンを作って食したら、後は死ぬばかりという絶望のふちに追い込まれていました。彼女らが暮らしていた地域で信奉されていたのは農業神バアルです。バアルに力がないのか見放されたのか、うち続く干ばつの前になす術がありません。大切な我が子を助けることもできない無力な彼女の前に現れたのは、イスラエルの預言者エリヤです。エリヤは「水をくれ」「パンを作ってもって来て」と言うのです。これから最後のパンを子に与えようという時です。彼女は逡巡しますが、エリヤは「恐れるには及ばない。かめの粉は尽きず、びんの油も無くならないと主は言われる」と言います。突然現れた旅人の言うことに従っていいものかどうか、大きな決断を迫られます。もし食べ逃げされ、そのまま最後の食事ができなかったらどうしよう?しかしどうせパンを食べたところで、自分も子どもも死ぬことには変わりない、という諦めやむなしさからエリヤにパンを提供したのでしょうか?聖書には「彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした」とあります。マリヤが御使いの御告げに対し「お言葉どおり、この身になりますように」と受け入れたように、神の御言葉を聞いて従ったところに、神に生かされる人生があるのです。ここではエリヤもまた、アハブ王から身を隠して前途が閉ざされた状態でした。神は、ご自分の言葉に従ったエリヤも彼女とその家族も、久しく食すようにはからって下さいました。何の力もない異教の信仰、ただ死を待つばかりの宗教から、エリヤとの出会いで神の御言葉に従って仕えること、ささげることで自分自身だけでなく家族もいのちを得ることができる生き方があることを知ることができたのです。