「美しの門のそばで」使徒行伝3章1?10節
美しの門での奇蹟を目の当たりにした人々はペテロの話を聞き、その日大勢の人が悔い改め信仰に入りました。ところが祭司や宮の守衛長たちからすると、イエスの弟子たちは神殿の秩序を乱す迷惑な者、彼らの利益を脅かす者でした。またペテロらが語る死者の復活というのは、サドカイ派の信じる教えの中にはありません。彼らは「死者の復活、天使、霊の存在」を信じず、預言者の権威も認めません。それなのに神殿という自分たちのテリトリーで、信義に反する教えを伝えているのはがまんならないことでした。また、自分たちが殺したイエスが神の計画によって復活したと群衆に語られるのは、自分たちが掲げる正義が真っ向から否定される行為です。ユダヤ教の最高法院の規則によると、死刑になる恐れのある重要な裁判は夜に行ってはならないとされています。だからペテロとヨハネの裁判は翌日にのばされ、それまで拘留されることになりました。イエス逮捕の時には恐れて逃げ出したペテロでしたが、素直に牢に入り、明くる日の審問には役人や律法学者、長老や大祭司らといった権威ある人やエリート階級を前に堂々と受け答えしています。ここにも驚くべきペテロとヨハネの変化が見られます。聖霊のバプテスマを受け、以前とは別人のようです。ペテロは「病人になされたいやしの御業はイエスのみ名による」「あなたがたが十字架で殺したあのイエスだ」「詩篇118:22の預言はイエスのことだ」「救いうる名(「いやし」と同じ言葉が使われている)はイエスにしか与えられていない」と大胆に話すのを見て、皆は「この者たちは無学な田舎の漁師なのに」と不思議に思い、イエスの弟子であることを認め、いやされた男の人もそばにいるのが業腹でした。イエスの弟子を認めるわけにはいかないが彼らを納得させる言葉も持ち合わせておらず、「今後イエスの名によって語るな」と言い含めることしかできませんでした。
6月19日 メッセージ要約
- 2022-06-19
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