7月3日 メッセージ要約

 「義の道を心得る」ペテロ?217?22
聖書で「義の人」と言うのは、一般的に私たちが認識している「義(倫理的・道徳的に正しい、公共の利益のために働くといったニュアンス)」とは少し異なります。「義」は信仰により与えられるものです。神の示す「義の道」を歩むにはどうしたらいいのでしょうか?ペテロの手紙の中で「正しい道を捨て迷っている」「義の道を知りながら」とありますが、クリスチャンが神の御心を知りながら自分勝手に生きていることを指しています。主イエスが語られた福音、使徒たちが伝えようとしている福音と異なる主張をする者が現れ、この世の知恵が入り込んだ間違った教えに惑わされているというのです。カーナビは現在の地点と目的地までの距離や所要時間を教えてくれる便利な機能ですが、目的地設定を間違えるとカーナビの教えてくれる通りに運転しても、間違った場所に着いてしまいます。自分の生きる目的、目指す地点を主のもとに設定しないで、人の欲望や利益を追求することを目標としてしまうと、義の道からそれてしまうのです。福音を喜んで受け入れても、その福音にとどまろうとせず、もう罪は赦されたのだから自由な新しい生き方をしようという考え方をペテロはとがめ、それは罪の奴隷に戻る滅びに至る道だと警告します。また、イエスの救いだけでは完全ではない、平和の君といっても世界から戦争はなくならない、本当に赦されたわけではない、だからもっともっと善行を積んで身代が傾くほど献金をささげましょう、と不安をあおるのもイエスの十字架のあがないを否定した間違った考え方です。罪の世界に身を置いても、イエスと共にいるから平安が与えられるのが素晴らしいのです。キリストの御業は完全であり、永遠のいのちは私たちに示された神の愛のしるしです。無理やりに宗教にひきこまれるのではなく、私たちの自由な意志でこの神の愛に応答し、日々感謝をささげ、神に喜ばれる生き方は何かを考えながら誠実に日々を送る、これが義の道を歩むことです。