「キリストの恵みと知識において」ペテ?3:14?18
「シミも傷もなく平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい」とありますが、献身することが救いの条件ではありません。手紙の冒頭で既に「終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」と述べられています。新しいいのちを与えられた者として、成熟するために最善を尽くしなさいと勧めているのです。神の栄光にあずかる希望を誇りとし、苦難をも誇りとする生き方は「苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生む(ローマ5:3-5)」自分の感情を点検し、もっとよい言動はないのか考え、コントロールするようになります。忍耐することは我慢の修行ではなく、キリストの生き方を学ぶことです。主がぶどうの木であり私たちはその枝であるように、キリストと共に生活することで豊かに成長していくのです。ペテロの手紙の最後には、パウロの手紙について言及しています。「彼の手紙には分かりにくい所があって、無学な人や心の定まらない人は、それをほかの書物と同じように曲解し、自分の滅びを招いています」とありますが、悪口を言っているのではありません。パウロの手紙の内容は自分が伝えていることと同じであると前置きした上で、ユダヤ人の信仰観や文化背景から「信仰義認」の理解が難しいということです。行いをしなければ神に認められてる確信が持てない、という考えに陥らないよう注意しているのです。偽物を見抜くために最も効果的な方法は本物を知り、それをよく見つめ続けることです。主の御言葉と福音にとどまり続け、堅固な足場を失わないよう用心しながら、キリストの恵みと知識において成長しましょう。