8月28日 メッセージ要約

「御国とキリスト者の眠り」ヨハネ福音14:27?29

先日、告別式を執り行いました。キリスト者は死後、どこへ行くのでしょうか?なぜ天国へ行けると確信を持って言えるのでしょうか。今日の聖書箇所はイエスが十字架にかかる前に弟子に話された内容からです。「平安を残して行く」と言われていますが、イエスが与える平安とは何でしょうか?それは罪の赦しから来る平安です。罪の責任はイエスが十字架によって代わりに負って下さった、けがれも咎もきよめられ、罪のない者とみなされ神の家族として天の国籍が与えられる、それが永遠のいのちです。人は誰しも、神に対して、他人に対して、とがめや後ろめたいことがあります。不誠実だったこと、あやまち、やがて来る後悔と「赦してほしい」と願う思い。そういったわだかまりを幾重にも心に積もらせて日々を過ごしていますが、もし人生の終わりまでその罪の意識を残したままだったらどうでしょうか。「あなたの罪は赦されました」と神の権威によって宣言される安堵感、赦された恵みを受け取ることができたら、死の向こう側に対する恐れや不安も取り除かれます。亡くなられた兄弟もイエスが約束された平安の中、眠りについています。私たちは日常に「眠る」という行為を繰り返しています。「明日が来なかったらどうしよう」と不安にならず、必ず明日も目覚める、と疑うことなく眠りにつきます。だからキリスト者の死は「眠り」だと表現されています(?テサロニケ4:13-18)。死に伴う痛みや苦しみはありますが、それは永遠に続くものではありません。死の向こう側にある永遠のいのち、神との和解、回復された新しい神と人との関係、時間や物理的な制約を超えたお方の元で、平安に過ごすことができるのです。先に召された兄弟姉妹たちと再び会える日まで、長いか短いか人によって様々ですが、地上の生活の中で主の平安の内に過ごすことが出来るように、祈りながら歩んでまいりましょう。