9月4日 メッセージ要約

「迷いと決断」列王紀上18:20?40

カルメル山に集結したバアルおよびアシェラの預言者と対決する前に、エリヤはイスラエルの民たちに「あなた方はいつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら主に従いなさい」と言いました。信じることは決断です。しかし神に従うのか、偶像に従うのか、決めかねている民たちは答えられませんでした。信じるに値するのか、自分の全てをゆだねてもいい存在なのか。天地を創造され人をも造られた神を礼拝するのか、人間が作った神々を優先するのか。日本人はよく「一神教の信者は恐れ知らずに戦い、頑固で時には国家権力にも逆らう危険な宗教だ。日本は多神教だから大らかで、周りとの調和を乱さないから平和なのだ」と考えがちですが、日本の支配者や国家が宗教を弾圧してきた歴史をかえりみると、多神教だから寛容、争いがないというのは勘違いです。宗教に対する無知が、時には信仰している人に対する迫害を生みます。信教、思想、良心の自由は、人の権利として保障されるべきものです。もし他人の利益や幸福を侵害する宗教であれば、法律によって適切に裁くべきですが、何を信じるかはその人の意志が尊重されなければなりません。この戦いは、民衆一人ひとりの信仰の決断をうながす場でもあったのです。バアルの預言者たちは自分たちの神に叫び呼び続けましたが、物言わぬ偶像の前には何の変化も起こりませんでした。彼らはいけにえが足りないから、自分たちの努力が足りないから神が答えられないのだと考えます。しかしエリヤが祭壇を築き、主に呼ばわると天から火が降りいけにえを焼き尽くしました。この火の奇蹟を見て、民たちは祈りに応えられる神、生ける主である神を認め、信じることを決断するのです。