「起きて食べよ、道はまだ遠い」列王紀上19:1?8
カルメル山にてバアル預言者とアシェラ預言者あわせて850名が殺された報を聞き、イゼベルは「24時間以内にエリヤを殺す」と怒ります。アハブ王の前で異教の預言者らに大勝利したエリヤでしたが、王のとりなしや庇護もなく、エリヤは自らの命を救うために逃げ出しました。自分の全存在をかけてイスラエルの神の信頼回復のためにあれほどのことをしたのに、自分をとりまく状況に影響は与えず、表立った応援も得られなかった…エリヤは孤独感と虚しさと疲労から「わたしは先祖にまさる者ではありません、もう充分です、命を取ってください」と神に訴えます。誰も分かってくれない、助けてくれない、わたしは特別な人間ではなかったのだ、人々から評価も共感も得られず、自分の働きも理解されない…肉体的にも精神的にも疲れ切った時、私たちも「神様、もう疲れました、もういいです」と絶望してしまいます。その時、主はエリヤに「もっと頑張れ」と叱咤激励したのではなく、「あなたはこうあるべきだ」と方法論を展開するのでもなく、御使いによって水と食糧を与えられました。「起きて、食べなさい」眠り続けて心も弱っていく前に、活力の源になる食べ物を口にしなさい、生きよ、と。主は遠くから観念的にだけ語りかけられるのではなく、この時は御使いが「彼にさわり」食べるよう呼びかけています。身近に実体をもって応援し守ってくれる存在があることを感じられると、人は力がわいてきます。主のいつくしみにより休息できたエリヤは霊的にも回復が与えられました。その場所(ベエル・シェバ)は創世記21:8?21でアブラハムの元を離れ荒野をさまようハガルとイシュマエルに主が語りかけられた所です。孤独と絶望で生きる力を失った者に、いつでも神はなぐさめ、導きと新しい力を与えてくださるお方です。