「あなたの神はどこにいるのか」列王記下1章
アハブ王は戦死し(列王上22章)、その子アハジヤが後を継ぎました。カルメル山で神の火が下りいけにえを焼き尽くし、バアル・アシェラ預言者たち850人がキションの河原で殺されたという大きな出来事も、アハジヤにとっては遠い過去の記憶として自分には関わりのないことだと思っていたのでしょう。「アハズヤは主の目に悪とされる行い、バアルに仕え、イスラエルの神、主を怒らせた」とあります。アハズヤは屋上の部屋の欄干から落ちてけがをしてしまったため、「私のケガが治るかどうかバアル神のもとへ行ってうかがって来なさい」と使いを出しました。そこで主はエリヤに「バアルのもとにうかがいを立てに行くとは、イスラエルには神がいないためなのか。それゆえ、アハズヤは必ず死ぬと使いの者に言いに行きなさい」と告げ、エリヤはその通りにします。アハズヤは使いの者からそれを聞くと50人隊をエリヤのもとへ送り捕らえようとしますが、エリヤは「私が神の人であれば、天から火が降り、あなたと部下50人を焼き尽くすであろう」と告げ、本当に火が降り、隊長と50人が焼き尽くされました。そのことで神へのおそれを抱くこともなくアハズヤは再び50人隊をエリヤのもとへ送り出しますが、同じように天から火が降り50人隊が焼き尽くされました。3人目の50人隊の隊長はエリヤの前にひざまずき懇願したため、命は助かりました。アハズヤはエリヤの告げた主の言葉通りに死にました。「あなたの神はどこにいるのか」という問いは、主に背いた悪王だけでなく、聖書に登場する預言者たちも、エリヤにも向けられる問いです。誰からも理解されないと孤独になり、華々しい奇蹟が行われたのは昔話で、自分の人生に神は介在しない、という思いに陥ってしまいがちです。私たちも神を思い出すのは困った時だけ、ということはないでしょうか。主は今も生きておられ、力強い御手で私の人生にも、今日も働きかけて下さることに感謝し、日々礼拝をささげましょう。