「主の言葉の真実」列王記下2章19?3章20節
エリヤの後継の預言者としてエリシャは活動を始めます。今日の箇所では2つの奇蹟と1つの呪いが記されています。共通するのは「主はこう仰せられる」という神の御言葉が実現すること、主をあなどり蔑む者は罰せられるということです。「神を信じたところで何になるのか」「神以外にも頼るものはある」という慢心に対し、主の力が思い知らされる場面です。まずエリコの町では、場所はいいが水が原因の病気などでいのちが消耗する土地であることを人々が相談し、エリシャが塩を水源に投げ入れて清める奇蹟を行いました。その塩に強力な殺菌作用があったというわけではなく「わたしはこの水を清めた、もはやそこから死も不毛も起こらない」という「主の宣言」により、いやしときよめがもたらされたのです。その後、ベテルへ上って行きますが、そこでエリシャを嘲った子どもが42人、熊に襲われて死亡しました。ベテルはイスラエルの信仰にとって重要な場所ですが、ヤロブアム王によって金の子牛が安置され、偶像礼拝化が進んでいました。主の預言者に対するあなどりが人々にまん延していたことに対し、神の裁きが下されたのです。もう一つの奇蹟は涸れた地に水が湧き出るものです。アハジヤが病死した後、兄弟のヨラムがイスラエルを継ぐと、南ユダ王国のヨシャパテ王とエドムの王を誘い、3人でモアブを討とうとします。モアブ王メシャがイスラエルに貢物を納めなくなり離反したからです。しかし連合軍は回り道をしている間に、兵士や家畜に飲ませる水がなくなってしまいます。ヨシャパテが「主の預言者に伺いを立てよう」と提案し、エリシャに会うと 「(イゼベルの家系で偶像から離れない)ヨラム王には私は何の関わりもないが(主を恐れる善王の)ヨシャパテの顔を立てるために」と断ってから涸れた谷を水で満たし、モアブに勝利すると預言しました。主はイスラエルに勝利をもたらしましたが、それによって感謝も悔い改めもしなかったヨラムに対し、9章では裁きを行います。