「喜びのために」ローマ書15:1?6
「自分だけを喜ばせることをしてはならない」「キリストさえご自分を喜ばせることはなさらなかった」とあります。自分の充足のための喜びではなく、父なる神が下さった祝福と恵みに感謝の心をもって喜ぶことです。他者の喜びのためにどのような態度でどのように振る舞うべきでしょうか。主イエスの御教えに「互いに愛し合いなさい」とあります。聖書で語られる神の愛は犠牲の愛です。しかし相手の思うがままに与えていくというのではなく、その人の徳を高め、その益を図って彼らを喜ばすべきであると述べられています。それを踏まえたうえで今日の箇所に3つのヒントが教えられています。?徳を高める(建徳する 別訳=霊的(人格)な成長のためになっているのか)?益を図る(心身と霊性に有益である)?喜びがある(そこに喜びはあるのか)???の行いを別の表現で言うと、他者の人生に貢献するということです。また献身的に他者と関わることを意識すると、自分の足りなさに気づき、難しさを感じます。しかし聖書で書かれていることは読者の至らなさを叱責し、なじるためではなく、?信じる者を教え導くため、?御言葉でもって忍耐と励ましを教えるため、?望み(希望)を抱いて歩み続けるため、です。多くの気づきは神の愛の深さ、主イエスの恵み豊かさを知ることに繋がります。他人の価値観に調子を合わせるのではなく、人の歓心を買うために努めるのではなく(ガラテヤ1:10)、神の御心と同じ思いになるように、キリストから学びながら、信じる者たちの心が一つになるようにと励まされているのです。私の喜びが他者への貢献になり、それが神の働きへの貢献へとなるのです。
2月19日 メッセージ要約
- 2023-02-19
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