3月19日 メッセージ要約

 「嵐の中で」使徒行伝27章
「荒地に道を砂漠に川を」の御言葉のように、神のご計画が進む時、道なきところに道が出来ます。出エジプトの際、退路を断たれたように思うところで神は紅海の中にも道をつくられました。ことごとく進路がふさがれると、私たちは「これは神の御心ではないかもしれない」と考えます。それは正しい時もあります。使徒16章で「聖霊がゆるされず」予定していた時と方法では進むことができなかったことがありました。しかし今日の箇所は延々と逆境が続き、道が閉ざされます。囚人として護送されるパウロたちの船は逆風にあい、いく日も船の進みが遅くて航海が危険な時季になり、やがて暴風に流され積み荷を捨てるところまで追い詰められ、あげく座礁して船はこわれ、兵卒たちに殺されそうになりながらも百卒長のはからいで囚人らも陸にあがることをゆるされました。飢えと恐怖が何十日も続く航海の中で、不都合なことが16回、その間に助かったことが3回。良いことと悪いことが交互に来るどころか、最悪な環境でいつ命を落としてもおかしくない状況です。しかしただ一人、パウロは毅然とした態度をとり続けています。パウロは20回以上船旅をしていますが、その中で難船したことが3度ありました(?コリ11:25)旅慣れた彼は、航旅の暦や危険などの知識を体験上学んでいたので船長たちに折にふれ助言しました。また、「誰も命を失わないと神が言われた」と、あきらめず皆を励まし続けました。私たちは人生の旅路が順風満帆でありたいと願いますが、時には苦難の連続もあります。「人は心に自分の道を考え計る。しかしその歩みを導く者は主である」(箴言16:9)パウロは患難と投獄の末、ローマへ向かう途上でさらに嵐にあい命の危険にさらされますが、旅の前に「エルサレムで証したように、ローマでも証しをしなくてはならない」(使徒23:11)と主に告げられたことから「必ずローマにたどり着く」と神の用意された未来を、神のご計画が成ることを信じ、同船の者をなぐさめ元気づけ、その姿を通して神を証したのです。「神は御心のままに、人の内に働いて志を立てさせ、かつ実現に至らせて下さるのです」(ピリピ2:13)私たちもいついかなる時も「神を礼拝する者」として証しをしていくことができますように。