「主は我らと共に」マタイ28:16?20
弟子たちは指示通りガリラヤの山で待っていると、復活の主イエスが栄光の姿で現れました。しかしこの目で見ても[とまどう](疑う)者もいたと聖書に書かれています。神はイエスに権威を与えられました。一部ですが例示すると、罪を赦す権威(マタイ9:6)汚れた霊を制する権威(マタイ10:1)権威のある教え(マタイ7:29)聖書全体を解き明かす力(ルカ24:27,32)です。罪をきよめ人を生かす権威、あなたはそれを信じることが出来るでしょうか。人がイエスを信じて救われる時(神の救いの時)とは、自分の心の底にうごめくものと向き合う時(自分自身の罪と死を知る時)であり、イエス・キリストと人格的に出会う時です。復活されたイエスは弟子たちと会うと、「すべての国民を弟子としなさい」と福音を告げ知らせるように命じられました。聖霊の注ぎ、罪の赦し、永遠のいのち、知らせたい主の恵みは沢山ありますが、聖書の真理から離れたところでキリスト教文化が私たちのくびきとなることがあります。キリスト教文化圏で受け継がれたことを守れないから信仰が薄い、救いが損なわれる、ということはありません。生活の規範は時代と地域によって異なりますが真理は普遍的なものです。大切なことはあなたにとってイエス・キリストはどのようなお方ですか?という問いに対し、答えを持つことです。福音の神髄は明快(信じる者は救われる、信仰により義とされる)です。そして主イエスは世が終わるまで一緒にいてくださるとお話しくださいました。わたし自身が、弱くても、情けなくても、不確かで信仰の勇気を失いかけようとも、病気になって体が思うように動かなくなっても 世間で評価されなくても、神の愛、主イエスの恵みは変わらないのです。
4月23日 メッセージ要約
- 2023-04-23
- メッセージ2023